そのメロディの美しさから「音楽教育界のシューベルト」とまで称えられたウィリアム・ギロック。
米国ミズーリ州で生まれたギロックはニューオリンズで20年あまりピアノ教師をしながら、子どものために多くの ピアノ曲を作曲しました。後半生はテキサス州ダラスに移り、作曲活動の他、コンクールの審査員、音楽教師のユニオンの役員・講師として活躍しました。
彼の作品は高度なテクニックを必要としないものでありながら、たいへん豊かな世界を持っており、美しいメロディ、 独特のハーモニー、リズムの面白さなど個性的な魅力にあふれています。
また作風も、ロマンティックなもの、クラシックなもの、教育上たいへん有用なポリフォニックなもの、そして、いかにも米国の作曲家らしいフォーク・スタイルやジャズ・スタイルなものとさまざまなタイプがあり、 多くの人に親しみやすさを感じさせるものです。
それらの作品には、ギロック自身が現場の教師であったこと、苦労して音楽を学んだことが、作曲上の大きな特色となって表れています。
生前のギロックは生徒たちの音楽会にも快く出向き、いつも、良い所を見つけ出して励ます良き師であり、その温かい人柄で、多くの人たちから愛され、尊敬されていました。
ヒストリー
1917年7月1日 | 米国、ミズーリ州ローレンス郡にて生まれ、幼少期の大半をラ・ラッセルで過ごした。 |
1920年 | 自己流でピアノを弾き始める。緑の田園風景に遊び、音楽好きの家族に囲まれて 少年時代を過ごし、5歳の頃から隣町のカーセイジにピアノのレッスンに通った。 ギロックが育ったラ・ラッセルの家 |
1935年 | セントラルメソジスト大学、美術専攻 作曲をナニー・ルイーズ・ライトに師事、作曲を始める |
1941年 | 高校で英語とフランス語の教師 子供向けピアノ曲30曲を作曲、うち5曲がシャーマー社より出版。 |
1943年 | ニューオリンズに移り、広告代理店に勤めた後、 ラジオやテレビ番組のピアノ伴奏者として活動。 1940年半ばのギロック |
1945年 | ピアノの教師 子供のためのピアノ曲を作曲 積極的に音楽教師の組織に参加し、多くを学ぶ ニューオリンズ、フレンチクォーターでジャズバンドに入り演奏する |
1948年 | ニューオリンズでの初TV放送にヴィルフレート・ハイトの歌の伴奏で出演 |
1957年 | 作曲活動を活発に行う |
1958年 | ”Lyric Preludes in Romantic Style”出版 |
1962年 | ”Accent On”シリーズ出版 |
1965年 | ”New Orleans Jazz Style”シリーズ出版 |
1969年 | Big Note Solos”、”Accent On Solos”シリーズ出版 |
1970年 | ダラスへ移り、作曲に力を注ぎ、素晴らしい曲を生み出す。 ワークショップ、ピアノ教師組織での役員を引き受け、全米で大いに活躍をする 初心者のための多くのピアノ教則本を執筆。 |
1983年 | ”Seven Pieces In Seven Keys”出版 1980年、母校セントラルメジスト大学での講座 |
1985年 | 日本で「叙情小曲集」出版(1991年改訂版出版) |
1993年9月7日 | 米国、テキサス州、デソートにて逝く |
ギロックの言葉
生徒には最後まで無難に演奏することを教えるので無く、胸がワクワクするような演奏ができるように指導すべきです。
そうすれば子供たちは音楽を創り出す目的を理解し、その喜びを知ることができるでしょう。
メロディーは良い音楽のエッセンスである
エキサイトでかつ繊細な音楽なしではエキサイトで繊細ピアニストになれない
初歩の理論は演奏するときにわかっていなければ、なんの値打ちもない
”ライト先生(大学時代の恩師)の言葉„